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夏の戦争映画感想、第3弾。
「日本のいちばん長い日」と「血と砂」を主に、「戦場のメリークリスマス」とあと「大誘拐」「シン・ゴジラ」「サマーウォーズ」の感想も少しだけ。
基本ネタバレあり。





日本の戦争映画の決定版のように言われている映画
「日本のいちばん長い日」。
シンゴジラがその影響を受けていると言われていることもあり鑑賞することにしましたが、その前に予習として、同じ岡本喜八監督の映画「大誘拐」を鑑賞しました。

「日本~」は会議シーンの多さがシンゴジラと似ていると言われます。
しかし見た限りでは、テロップを多用したドキュメンタリタッチ、それでいてどこか浮遊感のある劇場型な作りはむしろ「大誘拐」の方に似ていると思いました。
「日本~」に似ているのは、登場し活躍するのがほぼ公務員のみで、庶民の描写を一切排していること・家族や恋愛のような人間ドラマも完全排除していることでしょうか。

しかしこの「大誘拐」は今でも圧倒的に高い評価を得ているものの、個人的にはいただけなかった。
いくら誰一人傷ついた者がいない(ということになっている)のだろうと、犯罪は犯罪、そして脱税は脱税でしょう。
あれだけ膨大な捜査員を動員したこととそれに伴う費用、それによって犠牲になったものがないとはとても思えない。
これがOKなら、覚醒剤所持のふりをして警察官に追いかけさせその動画をアップするユーチューバーは全然ありということになってしまう。
(追記・昨日の今日ですが、上記ユーチューバーが「警察官の業務妨害容疑」で逮捕というニュースが飛び込んできました。今の観念なら、とし子刀自も逮捕か…… 9月8日)

莫大な税金を納めるんだからこれくらいは、なんてことを言ってるけど、高額納税者なら何をやっても良いのか?

これに関しては、金田一少年「蝋人形館殺人事件」の「誰も傷つけない犯罪などない」というのが正論ではないでしょうか。

結局犯人逮捕も身代金奪還もできなかったのは猪狩本部長の大失態で、あんな風に最後犯罪と身代金隠匿を見逃して笑っているというのはアリなのか?

ラストの刀自語る所の控除の理屈もよくわからないし、百億円が庭に埋められることの意味もわからない。

誘拐されたとき、相続とか贈与とかせずに、山林の一部を売却現金化させてその百億円を身代金にあてる。
百億円は身代金支払いで消費されたことになって、当然税金はかからない。
その金はぐるっと回って刀自の庭に、分け前の一部を口止め料として本部長がもらうというなら、お主もワルよのうな脱税ピカレスクとしてわからないでもないですが。

そんなことになったら話しの意味合いが違いすぎることになってしまいますけどね。

さて、「日本のいちばん長い日」です。

上記のように「大誘拐」には不満が残るものの、こちらはとても良い映画でした。
骨太で、重厚で、厳粛。
深い余韻に浸って、作品中の史実について何気なく検索してみた所、愕然となったのですがそれは後述。

この作品を語るとき枕詞のように「会議シーンが多い」といわれますが、実は会議シーンが続くのは前半、ポツダム宣言受諾を首相と閣僚が決意するところまで。
後半は玉音放送前日、陸軍の一部が起こしたクーデター未遂「宮城事件」の描写になるので、かなり派手で暴力的な、動きのあるシーンが続きます。

一貫して政治家と官僚とNHK職員と軍人の物語で、女性は全然出てこない。
戦場のメリークリスマスが「女の出てこない戦争映画」だといわれてたけど、これもそうなんだな……と思ってみていたら、終盤、鈴木首相邸宅の女中役で出てきました。

戦場のメリークリスマスも最近見ましたが、これは、難解でした。
色々考察を聞いた上で再視聴すればまた違うのかもしれないけど。
そもそもが原作をぶつ切りにした脚本といわれているのですが、ただそれでも、西洋と東洋の交わりがたさというのはわかりました。
しかし日本と西洋の対立という形で見ると、西洋の服を着て西洋の武器を持ち、西洋風の建物に住まないと西洋に追いつけないという時点でもう対等とは言えないのではないかとは思いました。
もっと端的に言えば、洋服(軍服)を着て銃を持ち、椅子とテーブルについて大和魂を語るのは変。
白人が和服に日本刀で、畳の和室に座ってゲルマン魂だのアングロサクソン魂だのを語ったらおかしいのと同じ。

それはともかく「日本の一番長い日」ですが、基本的には反戦映画のカテゴリに入るのでしょう。
しかしそれでもやはり、畑中少佐らが終戦を覆すために起こすクーデターの描写には危険な吸引力というものが存在します。
天皇自体が終戦を決めているのに、
「いや、我々こそが大御心を体現しているのだ!」
なんて、そんなこと言い出したらそれこそ何でもありになっちゃうでしょ!とは思うものの、政権内部では既にポツダム宣言受け入れが決まったのに、その日も霞ヶ浦から特攻機が飛び立っていく。
もはや若者を殺すこと自体が目的になっている。
そのシーンにかぶさって流れる軍歌「若鷲の歌」。
長調とか短調とかそういう音楽的なことはわかりませんが、日本の軍歌というのは何かこう、日本人の意識の深い所にある暗い情念をかき立てるものがあるのですね。

宮城事件自体も、あくまで愚かなこととして書かれてはいるのですが、事件参加者たちの純粋と自己陶酔が極まった狂気はやはり目をそらしがたいものがあるのです。
終盤、計画に挫折した畑中少佐がサイドカーにのってビラをまいていくシーンは、これが創作なら脚本家の想像力は神懸かり入っているなと思いましたが、史実だったよう。

しかし、宮城事件というのは名前と概要だけは知っていたけど、それがここまで大がかりなものだったなんて知らなかった。
皇居に銃口を向けるとか、二・二六事件というより禁門の変だな……と思いながら検索すると、同時検索候補に「黒幕」というワードがある。

……宮城事件には真の黒幕がいて、その人物は映画には名前を変えて登場しているものの立ち位置は曖昧なまま、史実ではなんの咎めもなく生き延び、GHQに入るなどして栄達している……

私自身が調べたことではなくそのまま引用するだけになってしまうので詳しく書くことはやめますが、実際映画を見ただけでも、あの阿南陸相というのは立派に書かれすぎでは?
戦後処理の責任があるにもかかわらず死に逃げた人物なのに。
とは思いましたね。

切腹したり天皇への忠誠心を強調したり、軍人は武士を強く意識しているのは確かだと思います。
しかし結局彼らは、人殺し集団であるという罪悪感と劣等感から逃れられなかったのでは?
武士は家柄でなるもので、貴族に通じる所がある。
いつだって晴れがましい存在。
しかし軍人はあくまで試験を受けてなるもので、しかもその仕事は、人を殺すという汚れ仕事に特化されている。

どんなに軍国主義の社会で世間から賞賛されようと、軍人には、官僚や政治家にはない暗い怨念と社会への隔意が常にあるのではないか?
そしてそれによって一部の者が、時に法や人道を犯すにいたるのでは?

暗いし重すぎることなのでこれ以上はやめますが、「日本のいちばん長い日」はあくまで将校クラスの軍人の話。
同じ岡本喜八監督の「独立愚連隊」「血と砂」についても語りたいと思います。
「日本の~」が東京の政権中枢部を舞台に、出てくるのは大臣クラスの政治家と軍人では大臣から佐官までの超エリートなのに引き替え、この2作は中国北部の戦場が舞台。
出てくるのも軍曹や下級兵士が主。
「独立愚連隊」も面白かったけど、やはり圧巻は「血と砂」でしょう。

wikiにも項目が作られていない、岡本監督作品のなかでもマイナーに属する作品なのでしょうが、間違いなく戦争映画の傑作であると思います。

まだ10代の者も多く含む軍楽兵たちが、戦況悪化により戦場に駆り出され北支(中国北部)前線に行かされる。
そこで歴戦の軍人・小杉曹長のしごきで鍛えられ、敵にとられた陣地の奪還作戦に従事することになる。

戦況悪化により、音楽学校を出たばかりの素人を戦場にやるということはあったとしても、楽器を持たせて中国奥地まで送り込むだろうか?
西洋の風土を前提に作られた楽器類を、砂埃の立つ土地で箱にも入れずに持ち運んでるし、さらには雨ざらしにもしてるし、あんなことしたら音なんて絶対でないよ……というつっこみは野暮の極み。

この作品でまず注目すべきはなんといっても、「日本の~」では無骨な阿南陸相を、「独立愚連隊」では気の触れた上官を演じていた三船敏郎の小杉曹長のキャラクターでしょう。
基本的には三船が黒澤明監督作品でよく演じたような「頼もしいナイスガイ」なのですが(もちろん例外も多くある)、岡本作品ならではの一種の洒脱さが加わっているところが実にいい。
歴戦の勇士でジャズの知識があり、人情家だけどシニカルな所もあり、一方で性的なことも排除しない。
椿三十郎や赤ひげに匹敵する名キャラクターだと思います。

脇を固めるキャラクターも素晴らしい。
「独立愚連隊」で主役を務めた佐藤允が、この作品では脇役に回っての熱演。
時々顔が菅原文太に見える。
そして団令子演じる、慰安婦のお春さん。
濁音を排した台詞回しで姓名が「金山春子」というのは、あーそういうことなんだなという感じで、これが現在テレビ放送できず、作品自体がマイナーになっていった一因でしょうか。
しかし前にBSプレミアムで見た映画では、もっと直接的に「現在では不適切」な台詞が出てきたけどな。

お春さんと少年兵たちとの性の交流、そこから生まれる「お春さんを守る」という気持ちは生への欲求であり希望です。
しかし、それは容赦なく敵の攻撃で砕かれる。

正直、小杉曹長や犬山の死、少年兵の全滅は、まだしも受け入れられないこともありませんでした。
しかしきつかったのは葬儀屋持田の顛末。
顛末のオチもあまりにも哀しい。
「聖者の行進」の壮絶な演奏と猛烈な爆音の中で繰り広げられる、最後の人間模様のシークエンスにはまさに1秒の無駄もない。

最後に生き残ったのは、一番シリアスで悲壮感を漂わせていた仲代達矢演じる佐久間隊長だけというのも、ある意味逆張りの作劇といえるかもしれないけれども無常感をうむ。

佐久間「進むときは先頭に、退くときはしんがりを。それが隊長というものだ」

こんな軍人、現実にはいないよね。
進むときは最後尾、逃げるときは真っ先にという、そんな手合いばっかりだ。
もし命を惜しまない軍人がいたらそれは国体とかを守るためで、市民を守るために命を捨てる軍人なんて、いないでしょ。

ラスト、「みんな死んじまったよ……」と無念をあらわにつぶやいて目を閉じる、お春の死に顔に被さるテロップ「その日、昭和二十年八月十五日」。
その少し前日本では、畑中少佐らが、戦争を終わらせるまいと宮城を襲撃していた!

終戦直前に末端の者が死ぬという点では「時計は生きていた」と通じるものがあります。
勝ち目なんて100%ないということは、洗脳する側はよくわかってる。
でも体面や意地や保身のために負けを受け入れない。
末端の兵士や市民はそのために死んだのです。

「日本のいちばん長い日」と「血と砂」を併せてみれば、それがよくわかる。
確かに残酷なシーンやポリコレ的にアウトなシーンも多いけど、これこそ8月にテレビで放映すべき作品でした。

「サマーウォーズ」とか放映してる場合じゃないぞ!

といっても、サマーウォーズ自体は結構面白かったです。
おおかみこどもがいまいちすぎるできだったのであまり期待はしていなかったのですが。

栄おばあちゃんの貫禄が「大誘拐」のとし子刀自に通じるものがあり、また侘助・栄の愛憎が建次・とし子の関係とも重なる。
田舎の旧家を舞台にしているし、みんなで力を合わせて大きな事を成し遂げるという過程も同じ。
かたや犯罪、かたや世界の救済という違いはありますが。

映画も、いくつも見ていくと重層的にイメージが重なっていくのだなと思いました。
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